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2007.06.30

ショートストーリー「渚」

「暑いー」

クーラーの真下にあるソファに寝転がってクーラー手を伸ばして仰いでいる春音がいた。
しばらくそうしているかと思うと、テーブルのある方向へと寝返り、クーラーのリモコンを取ろうと手を伸ばしていた。

「こら、春音。これ以上、温度下げたら俺が寒い」

春音の人差し指がリモコンに触れたところで、俺が取り上げた。
艶のある黒い髪、幼い顔の中に隠れている色香のある瞳、触れると冷たそうな印象を与える真っ白な腕をしている。梅雨の真っ最中、細い裏道で雨に打たれて彷徨っている彼女をたまたま俺が保護して3ヶ月になる。
初めは見るもの全てに怯えていた彼女だったが、今ではソファの上で大の字になって寝そべるくらいになっている。まるで猫みたいな奴だ。

「おじさんー」

春音は甘えるような声で言う。

「駄目」

「暑いよー」

「俺は暑くないの」

「私は暑いのっ」

「冷蔵庫にアイスあるけど」

その言葉に春音は素早く反応した。さっきまで死んでいた目が光を取り戻してる。

「食うか?」

「うん。おじさん取ってきて」

春音は起き上がり、両手を組んでウィンクした。ドラマでも見て色仕掛けを覚えてきたな……。

「はぁ仕方ないな……」

俺はキッチンに向かった。冷蔵庫からアイスバーを取り出し、ダイニングに手を置いた時だった。

バサッ

そこに置きっ放しにしていたダイレクトメールやチラシが床に散らばった。
俺は面倒臭そうに腰を落とし、それらを拾い始めた。
デリヘルやソープのピンクチラシやら、激安商品を載せた広告やら、旅行会社からのダイレクトメールやら……。一体、どこで俺の住所が流出しているのやら。個人情報を守るためのグッズやらたくさん売られてるが、どこで流出してるか分からないから個人情報を保護なんかできる訳ないだろ。

「ん?」

ある文字がふと目に留まる。あぁ……最近行ってなかったな。

「おじさん遅いー」

「ちょっと手間取ったからな」

俺はソファの上で大の字になっている春音にアイスバーを渡す。気のせいか少し溶けて柔らかくなっているような気がした。まぁ文句言われなきゃ大丈夫だ。

「ところで春音」

「んー?」

「海、行かないか」

春音はアイスバーを咥えたまま俺の目を見つめる。いくらなんでも、13歳の春音にもじっと見つめられると照れてしまう。俺は目を逸らした。

「行く!」

元気の良い答えが返ってきた。その拍子で咥えていたアイスバーを床に落としてもう一本、持ってこさせられたが……。

ガタンゴトン

ほとんど誰もいない電車の中、水玉の防水バッグを持った春音と紺色のリュックサックを左肩に背負った俺がいた。

「おじさん、海が見えてきたよ」

春音は目を丸くして電車の窓に張り付いて叫んだ。そういう所はまだまだ子供なんだな……と思う。
俺は電車の揺れに合わせるように春音の傍に寄り、頭を撫でてやる。春音は初めて見る海の景色に興奮しているのか、俺の存在を忘れているようだ。

「見えてきたな」

辺り一面に広がる海の景色に俺も興奮を覚えた。久しぶりだこんな気分。

「綺麗だといいけどな……」

俺は現実に戻って呟いた。
最近は環境汚染が激しい。綺麗だと評判の良い海を選んだが、心無い者達によるゴミが落ちてなければいいんだけどな……。

電車が到着のアナウンスを告げる。俺は春音の手を引いて、ホームへ降りた。風が運んでくる潮の香り、海がもうすぐそこにあることを告げていた。

「早く行こうよ」

春音は笑顔で俺の腕をぐいぐいと引っ張った。細くて今にも折れそうな白い腕から想像できない力だ。

「はいはい」

俺は呆れたように笑って、彼女にひきずられた。
駅を出ると海水浴場の場所を掲げる看板が出ていた、その真下には入り口がある。俺たちの周りは子供連れや、カップルが歩いていた。彼らも嬉しそうだった。海という危険で楽しくて癒される不思議な魔力に惹かれているようだ。俺もその一人だが。
春音は満面の笑みを浮かべて看板の先へと歩幅を大きくして歩いていく。
一般的に言う入り口をくぐって、更衣室へ向かった。春音はちょっと戸惑っていたが、もちろん別々に借りて着替えた。

「この歳で海パンを履くとはなぁ……」

俺はリュックをロッカーの中に置いてトランクスににた青いチェック模様の海パンを広げた。新品なのでシワ一つ入っていない。
これだとまだ恥ずかしくないだろうと思ったが、やはり実際につけるとなると恥ずかしい。

「上着みたいなのも買えばよかったな……」

俺は深呼吸をして、開き直った。

「よし」

後は何も考えず、着替えを済ませ更衣室の外で春音を待った。春音の奴、水着を着たことがないとか言ってたから大丈夫かな。

「あっおじさん」

後ろから春音の声が聞こえてきた。俺は振り返った。
紺色のスクール水着を着た春音はバスタオルを巻いて恥ずかしそうに立っていた。春音にはどんな水着を買ってやればいいのか分からなかったので、小中学生定番のはずであるスクール水着にした。しかし、意外と高かったのには驚いたが……。

「いいんじゃない」

「えへへ」

俺はそういうと、バスタオルを肩に掛けて浜辺へと向かって歩き始めた。春音は歩きなれない砂浜でつまづきながら、一所懸命、俺の後を追いかけている。
ザクザクと砂を踏みしめて、波打ち際までやってきた。俺はサンダルを脱いで押し寄せてくる波の中へと突っ込んで砂を取り除いた。そうこうしているうちに春音が追いついてきた。

「おじさん入ろうよっ」

春音は俺の横に立ち、笑顔で言った。

「あぁ入ろうか」

俺はそう言うと、春音を待っている間、海の家で買ってきた浮輪を二つ持ち出して、一つを春音に渡した。
春音は浮輪をすっぽりと胴体に密着させると海へと向かって駆け出した。

「あまり遠くへいくなよ!」

俺は初めての海に驚いてはしゃぐ春音にむかって叫んだ。

浮き輪にしがみついて水中へ手を伸ばしている春音を見ていた。不規則な波の揺れの中、今にも遠くへ流されていってしまいそうな感じだ。だが、そんな俺の心配をよそに彼女は砂の中に手を入れたり抜いたりして楽しんでいる。

「この距離なら大丈夫か……」

俺はひとり呟き、太陽の光で乾いた砂浜に腰を下ろした。
春音はまだ遊んでるようだ。右手でドロドロになった砂をすくって左手でこねるようにして持ちかえて、またすくって……。よく分からない事をするな。

彼女から目を離して空を仰いだ。陽光が眩しい。雲ひとつない空の下っていうのは本当に気持ちいいものだ。

「きゃっ」

遠くで少女の叫び声が聞こえた。
俺はハッと春音の姿を探した。春音の姿がどこにも見当たらない。そこにあるのは置き去りにされた浮き輪のみだった。

「馬鹿が」

慌てて立ち上がり、海へと走っていった。春音の頭が少しだけ見えて、また沈んでいる。そんなに深いのか?

「春音!」

俺は手を伸ばし、春音の腕を掴んで、上へと引っ張りあげた。春音は目を硬く閉ざして俺の体にしがみついてきた。

「大丈夫か」

春音は大きく咳き込めながらうなずいた。俺がそばにいてやるべきだったな……。
俺は反省しながら春音の背中を撫でた。すると、春音は腕を振り回した。

「ん……」

あまりにも豪快に振り回すので、春音の腕を掴んだ。よく見ると彼女の
手に赤い物体がくっくいていた。それは動いていた。足をクネクネと曲がらせて。

「痛い」

春音は泣き声で呟く。カニに挟まれて、ビックリしてひっくりかえってしまった訳か……。

「……そりゃ手を突っ込むからだろ」

俺はカニをとってやると、沖のほうへ向かって投げた。カニは綺麗に直線を描いて海の中へポチャンと音を立てて落ちた。

「大丈夫か」

「うん」

春音はまだ涙目だったが、笑顔で答えた。いつも感じてるのだが、落ち込むというのを知らない娘だ。

「おじさん、向こうへ行こうよ」

春音は東の方向を指差した。そこはゴツゴツとした岩場がそびえたっている。

「何で?」

「いいから」

春音は頬をふくらませて、俺の腕をぐいぐいと引っ張った。春音の手にひかれてしぶしぶと水中の中を歩き、浜辺に上がって、岩場の裏へと移動した。
そこに広がっていたのは、スカイブルーという表現がピッタリの海だった。

「どうして春音……」

「行こうよ」

春音は俺の言葉を遮って海の中へ進んだ。俺は彼女の後を着いていく。果てしなく広がる青い海。見たこともない色鮮やかな魚達が俺の足下で戯れている。少しくすぐったい。

「こんな海があったんだな」

海は光に照らさている。そこから真っ白な砂浜が透けて見えていた。

まるでガラスのように透き通った海。俺はその場でたちどまって思わず見とれた。まるで夢の世界だ……。

「しゃがんでどうしたの?」

春音は俺の顔を覗き込んで話しかけてきた。俺は顔を上げ顔を横に振った。

「なんでもない。それにしてもよく見つけたな」

「えへへ」

春音は屈託のない笑顔で笑う。そして両手を広げて空を見上げた。
そして、ゆっくり微笑むと仰向けに倒れこんだ。

「おい……」

水しぶきがあがる。それは彼女を守っているようだった。水しぶきは赤、黄色、オレンジ、青、緑と変化して静まった。
すると、真っ白なワンピーツを身にまとった春音が姿を現した。
さっきから分からないことばかり起こっているがどうでも良かった。

俺も両手を広げ雲ひとつない空を見上げながら海の中へ身を沈めた。

全く苦しくなかった。横には春音がいる俺の手をぎゅっと握って笑顔で見つめている。そして、上を見上げた。俺も彼女につられて上を見上げる。

光が揺れる波に反射して星屑のように輝いている。春音は手を伸ばしてそれを取った。それは波の揺れに反応するように光っている。

「私たちもあんな風に輝けるよね」

春音はそれを両手で包み込んで胸に当てた。

「あぁ……」

俺はそう言うと春音の頭を撫でた。彼女は目を閉じてそれを水中へと放った。真っ白な光が俺たちを包み込む。次に現れたのは赤い闇だった。

「…うや」

だれだろう俺の耳元で名前を呼ぶのは。

「ゆーうーやー!!」

「わっ!」

あまりも大きな声だったので飛び上がった。頬をふくらませた春音が俺の横で正座している。
あれは夢だったのか……。

「ずっと起こしてたんだよ」

春音はぷいと横を向く。俺は目をこすりながら、春音の頬をつついた。

「悪い悪い」

春音は横を向いたまま口元だけ笑みを浮かべた。

「おじさんにプレゼントがあるの」

「え?」

春音はきょとんとしている俺の手の平を掴み、何かを置いた。

「うわっ!」

「砂の中に手を入れてたらカニを捕まえちゃった」

春音はその場からすばやく逃げ出して、俺に向かってあっかんべーをした。俺はカニを払うと、砂浜をダッシュして春音を追いかけて海の中へと向かった。

いかがでしたでしょうか・・・?
実は「I love you forever」で「渚」をイメージしたこのシーンを入れたかったのですが、短編ということもあり、そしてうっかり忘れてしまったので(おいw
入れることができませんでした(^^;
久しぶりの小説と言うこともあり、少々ぎこちないですが最後までよんでくださってありがとうございます。